うれし泣きを知った日⑤(親孝行だったあの子)

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この話は30代主婦の私(オカクミ)がダウン症の長男を出産し「もう一生幸せになれない」と絶望したものの、いろんな人に支えられる中で希望を見出していく思い出ばなしです。

⬇︎過去の話はこちら

①もう一生、幸せになれない。

②苦しい胸の内

③君への手紙。

④キセキの存在

⑤親孝行だったあの子

⑥出生前診断への想いの変化

⑦親友の病

⑧不安を乗り越えて

⑨やっと…。

⑩私はもう、大丈夫

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※今回は流産の描写が出てきます。苦手な方はお控えください。

先生

もう1年ほど子宮がん検診受けてないでしょう?

今日、しましょうね。

先生は深いため息をついて、取りつくろうように子宮がん検診をした。

エコー画面に映し出された胎嚢を見て、私も胸騒ぎがしていた。

胎嚢の中身…

なかったよね?

オカクミ

子宮がん検診が終わると、先生はエコーの写真をデスクの上にそっと置いた。

先生

とりあえず、妊娠されてますね。

おめでとうございます。エコーの写真です。

先生の顔に笑顔はなかった。

あの…。

胎嚢の中身、ありませんよね?

オカクミ

先生

うーーん。

だけどオカさんの生理周期からいくとまだ5週ってことも考えられるから…。

ひとまず様子をみましょう。

次は2週間後に来てください。

11月の終わり。ほおに冷たさを感じながら帰路についた。

夜はエコー写真を見ながらネットで鬼のように検索。しかしどんなに知識を得ても、私にできるのは待つことだけだった。

モヤモヤする日々が1週間ほど続いたある夜、トイレにいくと心臓を突かれた。

出血してる!

あわてて産院に電話。血の色を確認されるも、鮮血ではないため翌日の受診になった。

翌日、写しだされたエコーを見ると胎嚢がまったく育っていない。素人目でみても明らかだ。

それでも、先生はもう少し様子を見るという。次の週にもう一度受診することになった。

 

受診日。

長男の妊娠中にもよく診てくれた女性の先生が担当だ。

先生

うん、流産だと思います。

先生はエコーを見てあっさり言った。

先生

子宮内から取り出す処置をしないといけません。

あさってなら予定が空いてるんですが、都合はいかがですか?

ふたつ返事で承諾した。先生があっさりしてるので、私もふん切りがつく。

 

手術前夜、なんだか怖くて不安に思っていた。遠方に住んでいる友人と「水曜日のダウンタウン」をLINEでやり取りしながら観て、なんとか気をまぎらわせていた。

翌朝、産院へ向かう20分前のことだ。

ズルッ…!!

なにかが出てくる感覚があった。

あわててトイレへ駆け込む。

半透明で球体のモノが、そこにはあった。

胎嚢だ!

胎嚢が出てきた!!

あらかじめナプキンをしていたため、産院に持っていくことにした。

産院のロビーで診察を待っていると、ミチルさんが駆け寄ってくる。

ミチル

オカさん!

今年中にまた会いたいなって思ってたら、こんな形で…。

今日わたしが担当します…。

ミチルさんは残念そうな顔をして、私の背中をさすってくれた。

だが結局、手術はせずに終わった。中身がきれいに出てきていたからだ。

ホッとした。手術というからには体への負担もまぬがれない。

周りの友人たちが流産するのをみて、生まれてくるのはキセキだと思っていた。しかし実際に自分が流産すると、なおさら実感した。

長男は生まれるべくして、生まれてきたんだ。

胎嚢だけだったあの子は教えてくれたんだと思う。

しかも自分から出てきてくれて、手術はナシ。

流産したのは悲しいし、残念だ。

でも、感謝しようと思った。

親孝行だったあの子。

来月でもいいよ!またおいでね。

ありがとう。

つづく。

⬇︎「見たよ!」という意味で押してくれるとうれしいです^^

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⑥出生前診断への想いの変化

 

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