うれし泣きを知った日④(キセキの存在)

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この話は30代主婦の私(オカクミ)がダウン症の長男を出産し「もう一生幸せになれない」と絶望したものの、いろんな人に支えられる中で希望を見出していく思い出ばなしです。

⬇︎過去の話はこちら

①もう一生、幸せになれない。

②苦しい胸の内

③君への手紙。

④キセキの存在

⑤親孝行だったあの子

⑥出生前診断への想いの変化

⑦親友の病

⑧不安を乗り越えて

⑨やっと…。

⑩私はもう、大丈夫

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私はミチルさんに嫌がられないかドキドキしながら、これまで寄りそってくれたことへの感謝の手紙を渡した。

ミチル

わぁ〜!ありがとう!うれしい!!

じゃあ、あとで大切に読ませていただきます!

ミチルさんは手を合わせておがむポーズをしたあと、手紙をポケットに入れていた。

 

帰り道ー

ミチルさんからうれしいと言われたことがすごくうれしくて、

うれしいってコトバ、言ったことも言われたこともなかったな!

これからは私もうれしいって言うようにしよう♪

オカクミ

と、ホクホクした気分で帰った。

それから1ヶ月後、

ミチルさんは後田ユウコとうちに遊びにきてくれた。

学生時代の思い出ばなしに花が咲き、時間はあっという間に過ぎていった。

長男が1歳になったころ、ミチルさんは1人でうちにきてくれた。

ミチル

長男ちゃん、1歳になったね!おめでと〜!

お祝いはどんなことしたんですか?!

田森神社に行って、餅ふみしてお祝いしてきたんですよ〜!

オカクミ

そういって誕生日会の写真をみながら

元気に生まれてくるのはキセキだ、という話になった。

ドラマ「コウノトリ」の話や、

友人が妊娠中に赤ちゃんの腎臓が2つともないことがわかり、中期中絶をしなければならなかったこと…。

ちょうどそのころ、後田ユウコが妊娠12週で流産していた。

一般的には4回に1度は流産するって言われてて…。

生まれてくるって本当に奇跡ですね。

ミチル

とミチルさんは残念そうに言っていた。

無事に生まれてくるのは決して当たり前のことじゃない

染色体異常がある場合、流産することが多いと言われており、生まれてくることができるのも少数。

ダウン症の子も8割は流産し、残りの2割が生まれてくることができると言われている。

染色体異常があっても元気に生まれてくることができた長男。

本当にすごい存在なんだ。

そう思った。

しばらくして、私はまた妊娠することができた。

長男を妊娠するまでは長かったが、今回は比較的あっさりだった。

私には甲状腺機能低下症という持病がある。

かかりつけの病院に妊娠を希望している旨を伝えると、チラージンという薬が処方された。ホルモンが補充されるそうだ。

それですぐ妊娠できたのだろう。

心拍が確認できる妊娠7週のとき長男を出産した産院で受診することにした。

診察前に看護師さんから

看護師

何か聞いておきたいことなどありますか?
出生前診断を、受けたいんです。

オカクミ

今回は、決めていた。

名前

出生前診断ですね、分かりました。

看護師さんは表情を変えることなく言った。

ケゲンな顔されたりするかなー、と心配していたが今は受ける人が多いのだろうか。

診察室に通される。

長男にダウン症がある、と告知した医師が担当だった。

先生

オカさん久しぶりですね。長男くんは元気?
(覚えてくれてたんだ!)

はい、おかげさまで!

オカクミ

先生

今、7週くらいかな?じゃあ、見てみましょうか。

内診台にどうぞ。

内診台に上がる。

エコーの画面が映し出され、胎嚢がみつかった。

先生

うん、ここに胎嚢がありますね…。

……。

うーーーん。。

先生は深いため息をついて、こう言った。

先生

もう1年ほど子宮がん検診受けてないでしょう?

今日、しましょうね。

取りつくろうかのような、子宮がん検診。

私もなんとなく、エコーの画面をみて胸騒ぎがしていた。

2週間後、その胸騒ぎは現実のものとなるー

つづく。

⬇︎「見たよ!」という意味で押してくれるとうれしいです^^

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⑤親孝行だったあの子

 

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