うれし泣きを知った日②(苦しい胸の内)

この記事には広告を含む場合があります。

記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。

PVアクセスランキング にほんブログ村
この話は30代主婦の私(オカクミ)がダウン症の長男を出産し「もう一生幸せになれない」と絶望したものの、いろんな人に支えられる中で希望を見出していく思い出ばなしです。

⬇︎過去の話はこちら

①もう一生、幸せになれない。

②苦しい胸の内

③君への手紙。

④キセキの存在

⑤親孝行だったあの子

⑥出生前診断への想いの変化

⑦親友の病

⑧不安を乗り越えて

⑨やっと…。

⑩私はもう、大丈夫

ホーム

長男を取り上げてくれた助産師さんは、中学時代の同級生の友だちだったんだ!

あの…もしかして、後田ユウコのお友達ですか?

オカクミ

ミチルさん

おっ?!ユウちゃんの?
そうなんです。私、後田さんと中学が一緒だったんです。

オカクミ

ミチルさん

そっか!うん。私、同い年なんです、オカさんと。
すごい偶然ですね!あんなに助産師さんがいらっしゃるのに。

後田さんがね、背の高いミチルさんが友達って言ってたけど、苗字が分からないって言うから(笑)

オカクミ

ミチルさん

ユウちゃんとはしばらく連絡取ってなかったから、言ってなかったなぁ。

去年結婚したばかりなんですよ。

その後ミチルさんは、自身の結婚生活のことを話をしてくれたり、

私達夫婦へのダウン症の告知が生まれた日ではなく、数日遅かったことを気にして、それで良かったのか夜も眠れずネットで検索し続けていたり、

ミチルさんのお母さんに「どうして神さまは〜泣」と嘆きの電話をしたりしていたことを話してくれた。

助産師さんも苦しんでいたんだな、と知って意外だった。

私も苦しい気持ちを吐露した。

20代後半から2年半ほど不妊治療をし、3回目の人工授精でやっと授かったこと。

周りの友人たちは不妊治療なんてしなくても、すでに2人目を生んでいること。

それなのに私は…。

ミチルさんは行き場のない私の気持ちを、全身で受け止めるように聞いてくれた。

おかげでミチルさんと話している間は少しだけ、気を紛らわせることができたのだった。

しかし一度1人になれば、ネットで鬼のように検索し、ダウン症についてロクなことが書かれていないのを見ては途方に暮れていた。

受け止めきれない現実に、どうしようもなく打ちひしがれていた。

 

翌朝、ナースステーションにあるベビーベッドで寝ている長男を呆然と眺めていた。

この子はダウン症なんだ。

なんで?

どうして?

何がいけなかったんだろう?

そんなことばかりが頭の中をめぐっていた。

すると夜勤明けで帰る前のミチルさんがまた話しかけに来てくれた。

ミチルさん

ダウン症の子って心臓に疾患のある子が多くて、大きな病院に緊急搬送されていく場合が多いんですよ。

だからこうやって保育器から出られるのって、なかなかないんです。

強いですよ!長男ちゃんは。

ミチルさん

…あっ、そうそう。

私、オカさんが退院する明日は休みなんですよ〜!

私がオカさんとおしゃべりしたいから、2週間検診と1ヶ月検診、私の都合で予約取らせてもらいました!

…なんだかすみません。ありがとうございます。

オカクミ

うれしく思う一方で、やはり長男がダウン症だという現実の方が重たくのしかかっていた。

今思えば3日で保育器を出られたのは本当にすごいことだったのに、そこまで頭が追いつかなかったのだ。

うつむきながら、ベッドで横たわっている長男の足をさすっていると、ミチルさんが手を差し出してきた。

ミチルさん

友達になりましょう!

ミチルさんは私の手を両手で握ったのだった。

 

つづく。

⬇︎「見たよ!」という意味で押してくれるとうれしいです^^

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

③手紙を書こう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA