この話は30代主婦の私(オカクミ)がダウン症の長男を出産し「もう一生幸せになれない」と絶望したものの、いろんな人に支えられる中で希望を見出していく思い出ばなしです。
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ニコッと笑ってくれるかな?
オカクミ
義母と療育センターに行っていた長男が、私と次男の待つ部屋へ夫に抱っこされ入ってくる。
オカクミ
長男は指をしゃぶりながら、おそるおそる次男の顔をのぞき込む。
すると次男が泣き叫びはじめ、長男も驚いて、うわーん!と泣きだした。
家族4人の、初めての写真をミチルさんが撮ろうとする。
ミチル
笑ってー!こっち向いてー!
だが長男はスネて、そっぽを向く。初対面はほろ苦いものになった。
ありがたいことに次男は健康そのもの。
前回と違って心穏やかな入院生活だ。
長男のときはミチルさんに教えてもらったなぁ。
便が手について、ベトベトになったりして。
母にヘタクソって笑われたっけ。
今ではこんなにスムーズに替えられるように!
沐浴もできたし、母乳も今度は上手くあげられてる。
わたしも、親としてできることが増えていたんだ…!
オカクミ
と、自分自身の成長を実感できて、感慨深かった。
助産師さんたちからは、前回のように手とり足とり
ケアされなかった。
入院者数は私を含め、7組ほど。
長男のときは満員御礼で19組。
助産師さんたちも決して忙しそうな雰囲気ではない。
そっか。
今のわたしは母子ともに健康だし、2人目の出産。
もう心配される対象じゃないんだ…!
オカクミ
ちょっと寂しくはあるが、
私はもう大丈夫なのだ。
長男を出産したあとの入院生活は、ミチルさんだけではなく、実はたくさんの助産師さんたちが私のことを支えてくれたのだ。
入院中、仲のいいママ友がお子さんをつれて来てくれた。
ママ友の子もおなじダウン症。長男と同級生の女の子で、サナちゃんと呼んでいる。
産院もおなじで、お世話になっていた助産師さんも偶然かぶっていた。(ミチルさんではないが。)
サナちゃんは、生まれたその日に緊急搬送されていた。心臓などにも合併症があったのだ。
ママ友
以前、ママ友が悲しそうに話していた。
私もだ。
だから、産院での記憶をいい思い出にぬり替えたい。
前回の記憶を過去のモノとして昇華できるかも!
オカクミ
そう思い、産院にサナちゃんと来てくれるよう、私がママ友に頼んだのだ。
私と次男、ママ友とサナちゃん、助産師さんの5人で写真を撮る。
みな、とびきりの笑顔だ。
写真を撮ってくれたのも、前回お世話になった助産師さん。
みんなでサナちゃんを囲み、成長を喜びあう。ママ友も嬉しそうだ。
おかげで前に進むことができた。
最高の思い出だ。
病院で過ごす最後の夜。ミチルさんは夜勤だった。
あの日の夜みたいに、また話せるだろうか。
3日前にこんな会話をしていた。
ミチル
オカクミ
だがその日はあいにく、医師がナースステーションでなにかをずっと演説していた。
医師は足を組み、ふんぞり返ってイスに腰掛けている。ミチルさんをはじめ、夜勤の助産師さんたち3人が、医師の前に立たされていた。
30分もすれば終わるだろうと、一度部屋へ戻る。
それから3時間後の23時。そろそろ寝ようと、次男をナースステーションへ迎えに行くと…
3時間くらい話してない?!
え??
オカクミ
この医師はいったい何をそんなに話しているのだろうか。残念だが挨拶すらできそうにない。
明日の朝はなんか話せるよね!
オカクミ
夜中は1時間おきに、次男がモゾモゾする。母乳だったりオムツだったり、寝たくなかったりするようだ。明け方4時になり、限界に達する。
オカクミ
次男をナースステーションに預けに行く。
ミチルさんはいなかった。(眠かったので、いたとしてもあまり話せなかったと思うが…)
迎えた朝。ナースステーションに次男の様子を見に行くと、やはりミチルさんはいなかった。
結局、お別れのあいさつもできないのかなー
つづく。
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