私はオカクミ。30代半ばで、今は主婦をしている。
3才の長男は、ダウン症。
長男が生まれてからダウン症と告知された時、世界の暗闇の底で一生涯苦しみながら生きていかなければならないのかと絶望した。
職場の同期の中で唯一信頼を寄せていた子に打ち明けた時のことだ。
オカクミ
同期
まるで仕事上のミスであるかのように驚いていた。
悪気がないのは分かっている。
しかし。
うちの長男はそんなにも、この社会に存在してはならないのかとまた絶望した。
人の本性はこんな時に分かるのだ、と知った。
その後もニュース記事で出生前診断のことが取り上げられるたび、コメント欄を読んでは絶望した。
こんなに可愛いこの子が、大きくなるにつれ色んな言葉を投げられながら生きていく。
私が代わってやりたい。私なら何を言われても平気なのに。
長男の将来を考えては悲観した。
絶望した一方で、良い面もあった。
自分の心を観察するクセがついたり、成長がゆっくりだからこそ、長男ができるようになったことが飛び上がるほどうれしく思うようになったり。
日常の何気ないことに幸せを感じるようになっていった。
なにより自分自身が
周囲の人から支えられて今日を生きている
という事実に気付いたのは私にとって、とても大きなものだった。
中学時代の同級生で、看護師になった「後田ユウコ」
長男を出産する1ヶ月前、共通の友人の結婚式で再会した。
連絡先を交換し、出産までちょくちょくLINEでおしゃべりしていた。
長男を出産した次の日、彼女からメールが来ていた。
後田ユウコ
オカクミ
後田ユウコ
オカクミ
私はそう言いつつ、彼女の話スルーしようと思っていた。
20人以上は絶対いる助産師さんの中に後田の看護学校時代の友だちがいても、私にはどうでも良かった。
きっとお互い
へ〜、そうなんですね〜。
で、終わるに違いない。
それに助産師さんたちはみな、忙しそうだ。
私が長男を出産し、入院していた時期は出産が重なったらしい。
入院中は個室で過ごすのだが、
全19室、どこも空いておらず2人1部屋で過ごす人たちもいるほどだった。
背の高いミチルさんは後田の話をしている場合ではないだろう。
そう思っていた数日後、私は医師から長男がダウン症と告知されたのだった。
告知された日の夜、私は底知れぬ不安の中にいた。
こんなにも受け入れられない現実。
「この世から消えてしまいたい。」
不安と孤独に打ちのめされている時だった。
長男を取り上げた助産師さんが私の部屋に入ってきた。
助産師さん
明るく声をかけてきた。
私は横たえていた体を起こしてベッドに座わり、泣きはらした顔で会釈した。
助産師さんは私のとなりに座ると、私の背中をさすりながらゆっくり言った。
「受け入れられないですよ。」
助産師さんはそれだけ言うと、しばらく背中をさすり続けてくれた。
…そっか。
受け入れられなくて、いいんだ。
どことない安心感。
少しだけ落ち着きを取り戻せたので、なにか話そうと思った。
声を絞り出そうとしたその時、助産師さんの名札が目に入った。
「桃川 ミチル」
…!
この助産師さん、背が高い!
背の高いミチルさんって、長男を取り上げてくれた助産師さんだったんだ!
しぼり出そうとしていた言葉が滝のように流れ出てきた。
つづく。
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