はじめまして!30代主婦でダウン症児の母親、オカクミです^^
私が住んでいる地域では朝はひんやりと肌寒くなってきました。(この記事を書いたのは2020年9月17日)
中学生のころ、ちょうどこの時期に体育祭が行われていたものです。
私は体育祭が大好きだったので、少し肌寒くも、まだ暑さが残るこの季節になるとなんだかワクワク、ドキドキしていました。
それが今では、ちょっぴりほろ苦い気分になったりして。
長男は2017年のこの季節に、産声をあげました。
生まれた瞬間からなんだか胸騒ぎがして、心から喜べなかった自分。
そんな私を支えてくれる人がいました。
この記事ではダウン症の長男を出産した当時のことをお話ししたいと思います。
目次
陣痛から出産
おしるしがあったのは出産の二日前。
ついに会えるんだ!
という思いと、
これから経験する陣痛の痛みがどれだけ痛いんだろう…?
という、期待と不安が入り混じっていました。
Twitterのフォロワーさんから、
まだ陣痛が来ないならゆっくりお風呂に入った方が良いよ!
とのアドバイスを受け、ドキドキしながら湯船に浸かることに!
その日の夜中、生理痛より少し強い痛みに1時間おきに襲われ、アプリで陣痛の感覚を測りながら寝れない夜を過ごしました。
朝6時半。
アプリで陣痛の間隔を計測していると、
「パシュッ!」という音(感覚?)とともに
ダバダバダバーーーッ!!!!
と、勢いよく羊水がもれ出てくるではありませんか!
うわっ!
破水したっ!
慌ててトイレに駆け込み、破水したとき用のナプキンをつけます。
トイレから出ると、なにかを察して起きてきた夫が目を覚ましていました。
今破水したから、産院に行かないかん!
車、すぐ出せる?!
いつもはのんびり動く夫が、この時ばかりはすぐに動いてくれました。
産院に着くと、即入院。
「回復室」なるところに通され、陣痛が強くなるのを待つことに。
母と義母も駆けつけ、今か今かと待ちわびています。
しかし、1時間経っても3時間経っても5時間経っても、陣痛はまったく強まらず。
結局その日はそのまま就寝することになりました。
翌朝。7時30分に陣痛促進剤が注入されます。
一気に来た激しい痛み。立ち会いの母や夫に激しく悪態つきながら(笑)
3時間ほどで長男は産まれて来ました。
わが子と対面、抱いた違和感。
ー小さな産声。
こんなもんかな?とボンヤリ思っていると、タオルに包まれた長男が私の顔の横に連れてこられます。
初めて見る、わが子の顔。
ウキウキしながら見てみると、すぐに違和感を覚えました。
誰に似てるかな?
私が長男へかけた、初めての第一声がこれでした。
長男が助産師さんたちから連れて行かれると、私は分娩台の上で1人モヤモヤしていました。
予定日より2週間早いし、何日か前に行った妊婦検診ではまだ2500gを超えてなかったような…。
ちゃんと2500g超えたのかな?
それに、あの目…
本当に誰に似たんだろう?
そんなことを思っていると、長男と対面した夫がニコニコしながら
イケメン!
イケメンだったね!
と声をかけに来ました。
うれしさ大爆発中の夫と話していると、再び長男が連れてこられました。
皆さんで写真を撮りましょう♪
助産師さんは夫の一眼レフを受け取ると、初めての家族写真を撮ってくれました。
夫と母は幸せそうに笑っています。
ー私だけが。
訝しむように息子を見つめていました。
笑って写れば良かったのに…今となっては長男に本当に申し訳なく思っています。
ひと通り写真を撮ったあと、助産師さんが
赤ちゃんがちょっと呼吸が安定しないので、これから保育器に入ります。
ママ、またね〜!
と、長男を連れて行きました。
私は分娩台で2時間ほど過ごし、これから5日間滞在する部屋(個室)へ連れて行かれました。
ベットで横になっていると、産まれたばかりの長男の写真を母が愛おしそうに見せてくれます。
…やっぱり、なんか違和感が。
なんか……
ダウン症じゃない?
私が言うと、母は
何言ってるの!!
あんたも産まれたばかりの時はダウン症のような顔してたのよ!
と叫びました。(母のセリフに思う事は色々ありますが、この場では割愛します(笑))
ー私の思い過ごしかな?そうだと良いけど…。
長男は3日後に保育器から出ることができました。(生後4日め)
それまで助産師さんからは
赤ちゃんの呼吸が安定しないので、もしかしたら大学病院に搬送することになるかもしれない
と伝えられていました。
実は私自身、仮死状態で生まれ1ヶ月間保育器で過ごしたという過去があります。
首にへその緒が巻きついていた上に(しかも2重!)逆子だったので帝王切開で生まれる予定でした。
なのに破水してしまい、普通分娩にならざるを得なかったようです。
それでも私はなんの障がいも残らず、ピンピンしていることから、長男に関しても特に心配はしていませんでした。
ただ、他の子に比べて全然泣かないな、聞こえてるのかな?
と、心配はしていました。
ダウン症と告知。絶望で泣き崩れる
無事に保育器から出ることが4日目。
助産師さんから
先生(ドクター)から話があるので、必ずご主人も同席して下さい
と伝えられました。
夫に仕事を早退してもらうように頼み、午後から来てもらうことに。
夫が到着すると、2人で診察室に呼ばれます。
先に産後の内診を済ませ、席に戻ると先生が話しはじめました。
ー要領を得ないような、長い長い前置き。
先生は一体、なにが言いたいのだろう?
訝しみながら先生の目を見たときです。
それまで不自然に笑っていた先生が、急に苦い顔で語りかけてきました。
実は…長男くんの発育などで、気になることがあります。
長男くんは、もしかしたら障害がある可能性があります。
ーそれは、ダウン症です。
オカさんの年齢では、1000人に1人の確率です。
ーやっぱり、そうだったんだ…
目のまえの景色から、一気に色がなくなって行きました。
先生の顔も、今いる診察室も、みんな真っ黒。
ー私が不妊治療をしたから?
ー私の妊娠中の過ごし方が悪かったから?
ー何がいけなくて、こんなことに?
やっとのことで病室に戻り、夫となにか話しました。内容は覚えていません。
母や義母さんが来てからも、崩れ落ちるように泣きました。
止めようにも止まらず。
出産をなかった事にしたい。
不妊治療なんてしなければ良かった。
そもそも、私が生まれた時に助からなければ良かったのに……!
30余年生きてきて、辛いこと、大変なことは、たっっっくさんありました。
けれど、今回に比べたらどれもかすり傷にすらならないんじゃないかと思うくらい
どうしようもなく辛く、受け入れ難い現実でした。
ダウン症だと受け入れられない夜。
告知された日の夜。
長男を取り上げてくれた助産師さんが夜勤で、私の様子を見に来てくれました。
この4日間、私を見つけてはいつも話しかけてきてくれた助産師さん。
そんな彼女を見ると、また涙が出てきました。
私の姿を見て、彼女は
「受け入れられないですよ。」
とだけ言うと、なにも言わずに寄り添ってくれたのです。
当時の私にはかなり衝撃的な言葉。
普通なら
「母親なんだから頑張りなさいよ」とか
「ちゃんと受け入れなさいよ」とか
「大丈夫、ちゃんと受け入れられるから」とか
“親なら〜すべき”のように、テンプレートにした励ましを言われる方が多いような気がします。
しかし、助産師さんのその言葉で
受け入れられないのは当たり前のことなんだ。
と思えました。
助産師さんは、その時受け入れられないでいる私を
そのまま・ありのままに受け止めてくれたのです。
このとき私は、
人生で初めて、人から寄り添われたと感じました。
人に寄り添うというとはどういうことかを教えてもらったように思います。
ーあの日の夜、助産師さんとは色んな話をしました。
看護師になった理由、学生時代にしていたアルバイト、ご主人のことetc…
助産師さんとおしゃべりして、少し気を紛らわせることができました。本当に感謝しています。
助産師さんとは共通の友人がいたことが判明し、退院後も繋がることが出来ました。
次男を出産したときも、その助産師さんが担当してくれたのです。
まとめ
3年近い不妊治療(不妊治療を書いた記事)の末、ようやく授かった長男がダウン症。
この現実を受け入れるまでには、かなりの時間を要しました。
しばらくは私の人生はもう終わったし、一生幸せになれないと途方に暮れた日々を過ごしました。しかし、助産師さんが退院した後も寄り添って下さったこともあり、少しずつですが前を向くことができたのです。
長男を取り上げてくれた助産師には本当に感謝しかありません…!
ここまで読んで頂きありがとうございました^^
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